2012/4/22

幸運が呼び込めるか

さて、考え方の話しはここまで置いておいて、別の話題に移る。「練習は完璧をもたらす」(Practice makes perfect.)とよく言われている英語ことわざは本当だろうか、ただ親が子どもを騙すために使われて、根拠のない言葉だけか、この言葉は真実なのだろうか?

実は、この質問を打開するために、科学者がピアノを弾く実験を行った。その実験には、2つグループがあった。Aグループのメンバーは毎日何時間もピアノを弾いていた。Bグループのメンバーはピアノを弾かず頭の中で弾くことを想像するばかりであった。その後、両方の脳が変わったかどうか観察した結果は、Aグループはもちろん、脳の中にその実験に関する部位が活発して、広くなった。意外なのは、Aグループより明らかじゃないが、Bグールプの部位も広くなった!つまり想像の練習をしただけでも完璧をもたらすわけである。

その通りで、始めの一歩というと、練習に限る。「快」を練習すれば練習するほど「快」になるんじゃないだろう。いつも自分がついていると思ったり、何回も何回も幸運に恵まれる体験を繰り返したりすると、愚痴をこぼさないようになると言えるのではないだろうか。

よって、幸運が呼び込めるか、呼び込めないか?答えは言わずと知れたものである。

2012/4/13

台湾人の名前

昔は、生活が苦しかったので、注意深く子どもの名前をつけるという空き時間がなくて、勝手に目に入ったもので子どもの名前にすることもあった。 「草」とか「水」とか「牛」までついた名前が多かった。 なお、田舎では「男尊女卑」の思想が強かったので、女の子が生まれると喜んでくれない場合もあった。 「生まれた以上、育てるしかしょうがない」という意味を表す名前が使われていた。「モチ」、「モヨ」がいい例だった。

政治の影響もその頃の名前に見つけられる。 大陸からの人々が台湾で子どもができたら、「この子は台湾で生まれた」や「しばらく台湾に滞在中」を強調する「台生」、「寄台」も採用されれば、「実家が懐かしい」とか「先祖様に思いを残す」という意味が含む「憶湘」(「湘」とふるさとの「郷」、発音が同じで)、「念祖」も登場した。

歳月が流れるにつれ、名前に戦争の跡も薄れてきた。 今、個人意識を追い求め、自己中心的な名前を選ぶ人もいるし、例えば、ある映画評論家は、鳥が大好きで、「李幼鸚鵡鵪鶉」に改名した。 メディアの力が高まるとともに、子どもの名前はセレブリティ、ブームに影響されるようになっていった。 有名人に似ている名前とかドラマの主人公っぽい名前とかは人々に愛用されるようになってきた。 よく言えば、名前によって人々の生活とか性格を推測することがおもしろくなるはず、悪く言えば、初対面の人の名前に「へえ、あんなに変な名前があるの」と驚かれることが多くなるんじゃないかと思った。

昭和天皇が「雑草という草はない。それぞれに名前がある」とおしゃったことがある。 一方で、名前を呼ばれたときには、人が間接的な手段によって無意識のうちに感情や考えをある方向に変化されるのはよく言われている。 では、親からもらって、ただ自分だけ使える名前が人のシンボルとして、真っ黒の夜空で星のように輝き出していると言えないこともないだろう。